2023年


ーーー5/2−−−  35年ぶりの通勤


 
4月後半に7日間、安曇野市三郷地区のリンゴ農家へ、摘花の手伝いに出掛けた。これは花を間引くことで、果実の数を減らし、大きく育てるための作業である。作業自体は、特に肉体的な負担も無く、きついものでは無かったが、思いがけない点で少々悩ましかった。

 朝8時から夕方5時まで、昼食の休憩1時間を除いて8時間の労働である。悩ましかったのは、定時に出勤して、決められた時間働き続けること。なんだそんな当たり前の事か、と思われるだろう。勤務時間を規定された雇われ仕事というものは、こういう物である。私も大学を卒業してから12年間、会社勤めをやっていたから、その当たり前の事はよく知っているつもりだった。しかし、会社を辞めてからそのような仕事とは縁が無かったので、今回は35年ぶりの勤務ということになった。バイトだから気が楽だとは言え、まる一日拘束されて働くのは、なかなか厳しいものだと、あらためて気付かされた。

 私の本業は木工稼業である。一人でやっている工房だから、始業時間も就業時間も、特に決めていない。毎日せっせと働くとしても、時間の制約を受けることは無い。就業日すら、決める必要はない。他にやりたい事が生じれば平日でも休むし、仕事が混めば日曜日でも働く。つまり、全ては私の自由なのである。その自由の意味を、今回は思い知らされた。

 通勤に出ると、普段自宅の周りで行って来た日常的な事が、まったく出来ないのである。庭仕事をする、壊れた備品を直す、買い物に出かける、調べものをする、届いた郵便物に目を通す、金融機関へ出向く、といった雑多な用事。はたまた、健康活動、楽器の練習、蕎麦打ちなどの個人的な愉しみ。そういうものが一切できなくなる。会社員時代は、それが当たり前と思っていたから、やりたいことは土日にやれば良いと割り切っていた。しかしいったん自由な生活に慣れてしまうと、それが失われた毎日というのは、なんだか調子が狂うのである。

 この冬は、象嵌仕事の注文が大量にあり、それをこなすためにかなり頑張って働いた。熱心に作業をしても、なかなか仕事が進まない気がして、働いた時間を記録することにした。1ヶ月ほどデータを取ってみたら、8時間働いた日など稀で、平均すれば5〜6時間、中には3〜4時間という日もあった。仕事を最優先にしているつもりでも、自宅に居るからには、なにかとディスターブされるのである。他者に拘束されでもしなければ、生活時間を100パーセント仕事に当てるのは難しい事なのだと理解した。逆に言えば、ディスターバンスに付き合って暮らすのが、フリーランスの生活とも言えるだろう。

 ともあれ、労働力をお金に換えるということは、それなりに大変な事だと、再認識をした次第であった。




ーーー5/9−−−  壊れかけの血圧計


 毎朝血圧を測る。使っている血圧計には、直近の三回の測定値を平均して表示する機能がある。測定するたびに値が振れることがあるので、この平均値を正として記録してきた。ところが近年、値の振れがやけに大きくなってきた。上の値で言うと、120台から150くらいまで振れることがある。僅か数分の間に、血圧というものはこんなに変化するものだろうか?

 ちょっと調べたら、市販の血圧計には耐用年数があるらしい。おおむね5年程度を過ぎると、測定に誤差が生じるとのこと。上に述べたような測定値の振れは、誤差と呼べる範囲のものではないと感じるが、使い始めて十数年経っている血圧計なので、そこら辺に理由があるのかも知れない。

 壊れかけている血圧計に、真面目に付き合うのもバカらしくなってきた。そこで最近は、几帳面に三回計るのは止めにして、リーズナブルな値(低めの数値)が得られたら、その時点で測定を終了し、その値を記録することにした。値が低い方が好ましいからである。一回目で良い値が出れば、ラッキー。三回やっても不本意な値(高い数値)しか出なかった場合は、仕方なく平均値を記録する。

 こんなふうにしているよとカミさんに話したら、「ずいぶん都合の良いやり方を始めたものね。何のための測定かわからないじゃない?」と言った。私は咄嗟に、「血圧計のための測定だ。血圧計の状態を、わたしの血圧でチェックしてやるのだ」と返したが、我ながらデタラメな返答であった。




ーーー5/16−−−  またまた二次使用許諾願い


 
拙書「木工ひとつばなし」が出版されたのは2009年3月だったから、14年前である。これまでに何度か、著作物二次使用の許諾願いというのを受けた。著作物の一部を使いたいので許可を得たいという申し出である。

 著作物を入学試験等で使う場合は、無断で使って良いと著作権法で決まっている。著者が知らないところで、使われていることもありうるという事だ。それに対し、出版社が過去問題集に著作物を使う場合は、著者の許諾が必要である。これを二次使用の許諾という。使用する際の費用は、日本文芸家協会の著作物使用規定に準じて算出されるのが一般的である。

 何年もご無沙汰だったが、この春は騒がしくなった。大阪府立富田林中学校(中高一貫校)と、大阪府立高校の入試問題に使われたからである。何故拙書が選ばれたのか、とんと見当が付かないが、それぞれ異なる部分の文章が使われている。これまでのところ、中学校に関して2件、高校に関して4件の申し込みが出版社からあった。こんな数の出版社から依頼を受けたことは、過去には無い。いずれも公立の学校だからこういう事になったのかと思う。

 さらに大阪府教育委員会からも連絡があった。入試問題を一年間ネット上で公開するのだが、その許可を得たいと言うのである。さっそく教育委員会のサイトを調べたら、確かに「国語A」という項目に私の文章に関する問題が掲載されていた。しかし、文章自体は白抜きになっていて「著作権者への配慮から、現時点での掲載を控えております」と書いてあった。

 依頼書の中には「公共性の高いものだから、無償で承諾頂ければ有難い」などと書いてあった。公共性を盾にして、著作財産権を放棄せよとは、納得できる話ではない。有償にて許可という項目を選び、相応の金額を記入して返送した。




ーーー5/23−−−  イライラするスイッチ


 
なかなかスイッチが入らなくて、イライラの種となっている道具がある。

 一つは、台所のガスコンロ。今は亡き両親が住んでいた区画の台所で、普段は使っていないが、蕎麦を茹でるときにはこのコンロを使う。その場所が蕎麦打ち作業のスペースだからである。このコンロが、なかなかスイッチが入らない、つまり点火しないのである。

 点火ダイヤルを押し込んで右にいっぱい回すとガスが出て火が点くのだが、手を放すと火が消えてしまうのである。立ち消え安全装置が働いて、ガスを止めるのだと思われるが、何故そのような誤作動をするのかは、分からない。安全装置のセンサーが汚れていると誤動作をするということをネットで知り、掃除をしてみたが、改善されなかった。

 全く燃焼の見込みが無ければ、修理に出すか、新品と交換するだろう。だが、繰り返し点火の操作をすると、偶発的に燃焼状態に入るというあいまいな現状。それで、騙しだまし使い続けている。その点火作業の繰り返しと言うのが、多い時で20回くらい、少なくて数回、平均すれば10回ほどである。想像して頂きたいのだが、これはかなりイライラものである。

 経験を重ねるにつれ、鍋の位置を変えると良い結果に繋がるとの感触を得た。鍋を、手前45度の方向に引き込み、五徳に鍋底の端が掛かる程度にずらして置くと、燃焼に持ち込みやすい。さらに、点火操作をしながら、鍋を僅かに移動すると具合が良い、などが確認された。しかし、それらの操作も、単なる感覚的なものであり、再現性に乏しい。相変わらず数回の試行錯誤は我慢しなければならない状況が続いている。

 もう一つは、風呂場の換気扇。入浴が終わって浴室を後にする際に換気扇を回すのだが、数年前から調子が悪くなった。紐を引くとルーバーが開き、モーターが始動してファンが回る仕組みである。本来ならば、紐を引くとカチッと手応えがあり、スイッチが入るのであるが、紐を引いても手応えが無く、無駄に戻ってしまうようになった。しかしこれも、何回か続けてやると、突然上手く行くことがある。その偶然的なチャンスに期待をして、裸のまま浴槽に立って、無心に紐引きを繰り返す。まるで、ひたすら良い目が出るのを待つ、ギャンブルのようである。

 ある日、カミさんに「近ごろは、何回トライしても上手く行かなくなってきた」と話した。すると彼女は「長い時間(30秒ほど)紐を引くと、上手くいくわよ。それでだめでも、直後に二回目を引けば、ほぼ間違いなく決まる」と言った。

 そんな事が理論的にありうるのか?と思ったが、言われた通りにやってみたら、上手く行った。ところで彼女はどのようにして、そんな方法を発見したのだろうか。




ーーー5/30−−−  蕎麦包丁の柄を付け替え


 
2020年の12月に、蕎麦打ち道具一式を購入した。以来、年間を通じ蕎麦を打ち、食べてきた。この二年間、私の昼食は毎日ザル蕎麦である。蕎麦打ちの技量を向上させるために、頻繁に蕎麦を打つ。打った蕎麦は食べねばならない。と言うわけで、毎日の昼食が蕎麦なのである。ちなみに、打った蕎麦の保存期間は、常温なら一日、冷蔵なら二日、冷凍なら一ケ月と言われている。冷凍すれば、一ケ月は長過ぎるかも知れないが、4、5日以内であれば打ち立てに近い美味しさで食べられる。

 購入した蕎麦打ち道具は包丁、こね鉢、のし板、麺棒、切り台、コマ板のセットである。いずれもそこそこの品質のものであり、問題無く使える。しかし、麺棒はホームセンターで購入した集成材の丸棒(手摺用材)で代用している。この方が形状が安定しているからである。またコマ板は、自作したものを使っている。その理由は専門的領域になるので、割愛する。

 包丁は、それ自体は安来鋼を使った良い物だが、柄がいまいちだった。刃の背側を延長した金属部分に直接ロープを巻いたものだった。これは握った感覚がしっくりせず、使い心地が悪かった。それで、木の柄に付け替えた。小刀などの木工刃物では、自分で柄を付けるということは普通にやる。専門の道具屋では、茎子(なかご)がむき出しの状態で刃物が売られているくらいだ。木工家にとって、柄を自作するのは、基本作業の一つである。

 今回の蕎麦包丁では、ロープを外し、木の板で挟んで、タコ糸で巻き、漆を塗って固めた。だいぶ使い易くなった。それを二年以上使い続けた。その柄で特に問題は無いと感じていたが、私には新たなビジョンがあった。

 以前テレビで、蕎麦打ち名人T氏の仕事を紹介する番組を見た。その中で、氏が弟子に包丁の柄の付け方を指導している場面があった。手で握って使い易い柄を自作するというのが、氏のやり方だそうである。蕎麦職人がそこまでやるのか?というような話で、ちょっと驚いた。氏が自作し使っている柄が画面に現れたが、その形がいかにも手に馴染むように見えて、記憶に残った。それを真似したくなったのである。

 日常的に使っている包丁なので、柄を付け替えるチャンスがなかなか無かった。柄を加工するのは一日二日のことであるが、その後の漆塗りに日数がかかるからである。この4月中旬から、リンゴ園の作業に通い始めたので、自宅で昼食をとることが無くなった。冷凍庫の蕎麦は手付かずとなり、蕎麦を打つ機会も無くなった。包丁の出番も無い。そこで柄の付け替えを実行することにした。

 まず柄のモデルを作って、形状と面取りの丸みを決める。続いて本番の製作は、まず組みとなる二枚の木板の片側に茎子を入れる凹を掘り込む。その後二枚を重ねて輪郭を切り抜き、荒く丸め加工を施してから、茎子を挟んで接着剤で張り付ける。固まってから、木ヤスリや南京鉋で曲面加工をし、ペーパーをかけて仕上げ、最後に漆を塗り重ねる。

 出来上がった柄は、握った感触が良く、見た目も綺麗で、満足した。実際に蕎麦を切ってみたら、しっかりと握れるのでコントロール性が良く、使い心地が良かった。今から思えば、前回の柄は、細すぎて握りの安定性に欠けていたようである。ともあれ、自分が使い易い柄を自作するというT名人の方針は、的を得たことであると頷かされた。

 下の画像は左から、購入した状態、前回付けた柄、今回の柄である。